古書・古本の出張買取 滋賀・全適堂 | お店のミカタ https://zentekido5.on.omisenomikata.jp/ 滋賀県全域に出張買取! 一般書から学術書・専門書まで、新本から和本まで取扱 【日記】 三遊亭山羊助にございます Wed, 19 Feb 2014 20:20:34 +0900 618854 https://zentekido5.on.omisenomikata.jp/diary/618854 みなさま、お初にお目にかかります。<br />三遊亭山羊助、通称ヤギスケと申します。<br /><br />店主が初夢に見たという名前をいただき、全適堂の看板ヤギにこ一昨日就任いたしました。<br />1月25日生まれのトカラヤギとシバヤギのmixのオスで、ようやく哺乳瓶をぐびぐび飲むことができるようになりました。<br />草は嗜む程度でまだまだこれからでございます。<br />人工哺乳で育てられましたので、人がいないとすぐに大声で鳴いてしまいます。<br />よって店主はなかなか外出ができず、育児ノイローゼとはこういうものかと嘆いております。<br />一刻も早く離乳し、一人前の山羊として生きていきたいものですがどうなるやら。<br /><br />山羊の癖に室内で育てられたので寒がりでございます。<br />ガタガタ震え、すぐにヒーターの前に居座ってしまいます。<br />店主は山羊のつれない感じがよかったらしく、人工哺乳でべったりの甘えっぷりはあまり好みではない様子。まだ赤ん坊ですので、しばらくはかなりご迷惑をおかけすることとなりましょうが、その点はご容赦願います。<br />ミニヤギですので、二匹の親から推測して、大きくなっても20キロ超かと思われます。<br />ちなみに現在は4キロです。<br /><br /><br />・店主より<br />みなさま、ヤギスケの申すとおり、2日目ですが育児の大変さを痛感しております。ヤギの保育園があればどんなに助かるか知れませんが、できるだけのことはやってみるつもりです。<br />それでも本の整理には参上いたします。もしかするとヤギスケと一緒に参るやも知れません。<br />先日は、R大学の教育学の教授のご退官でお伺いいたしました。<br />寒さ厳しい折、これからお引越しのシーズンです。本の整理をお考えの際はご一報ください。 【日記】 生と人生 Mon, 03 Feb 2014 14:24:53 +0900 610131 https://zentekido5.on.omisenomikata.jp/diary/610131 生という広大なる海に 一つ浮かんだ小さな島<br />人生という島<br /><br />ひらかれたものがむすび 生から人生へ<br />またひらいて 人生から生へ<br /><br />人の脳が 生を人生に 焦点を合わせる<br />人生に焦点を固定し続けると 人生がすべてであると 錯覚する<br /><br />しかし人生は 生に支えられた小さな 小さな島<br />山川草木 生けるものすべてを 生は満たしている<br /><br />基盤は生にあり 人生になし<br />経験値を積んでいくのが人生 生は経験だけがある<br /><br />何も残さないし 記憶にも留まらない<br />ただただ流れている<br /><br />人生は個人であることを<br />生は何者でもなく 生自身であることだけを 必要とする<br /><br />人生という小さな島を 産み出す広大なる海<br />生という海<br /><br />生は死なり 死はまた生なり<br /><br /><br /><br />写真は京大のヤギ。<br />ヤギはヒトが生に存していることを思い出させる縁となります。<br />それだけ生に沿って生きている。<br /><br />いわゆる人生論とは、人生にのみ固執しているがゆえに処世術になるよりほかない。<br />生から分離してしまっています。<br /><br />分離せずに人生を生きるには、自身が生であり、流れる生であるよりほかない。<br />術にも論にもならず。<br /><br />そういうものを感じさせるのが芸術であったり、文化の役割でありましょう。<br />人生という営みから生を仄めかす。 【日記】 母の身終い Tue, 28 Jan 2014 08:44:35 +0900 605778 https://zentekido5.on.omisenomikata.jp/diary/605778 立て続けに映画を見に行っています。<br /><br />昨年末は、「ハンナ・アーレント」。ヴァージニア・ウルフを題材にした「めぐりあう時間たち」。今年に入って、白黒サイレントで、カルメンと白雪姫を題材にした「ブランカニエベス」。<br />そして、今回紹介するフランス映画「母の身終い」。<br /><br />麻薬密輸を手伝った罪で18ヶ月刑務所に入っていた男が釈放され、馬の合わない几帳面な母親の家で暮らし始める。お互いうまく距離感が取れずにぶつかってばかり。母は末期の脳腫瘍。ふと男が睡眠薬を飲もうと引き出しを開けると、母の尊厳死に同意するサインを発見する。<br />舞台はフランスなので、幇助自殺は認められておらず、スイスの施設にて執り行われる。<br /><br />映画の目的は尊厳死に主題があるのではなく、親子の葛藤とその和解のためのツールとして描きたいのだということは見てとれる。<br />しかし、それを見るだけならフランス映画でなくても、多くの小説にも描かれているし、個人的には興味を引かれることはありません。<br />映画評を見ると、「重い」という言葉が多く見られましたが、まったく重さを感じることはありませんでした。音楽もほとんどなく、じっくりひとつのシーンに向き合うようになっています。それが重いとされる所以でしょうが、しっかり向き合えばそれは重さではなくなります。流れに目を背けるので、余計な力を使うがゆえに重さを感じてしまうのでしょう。<br /><br />エンディングのすばらしいこと。<br />スイスの施設で、鎮静剤をぐいっと飲み干す様はソクラテスが毒人参をあおるのを思い起こさせる。<br />あっさり亡くなってそこで終わり。妙な余韻を残さず、完璧な終わり方であったと思います。<br />実際は5日間かけてじっくり行うようですが、映画では施設についてすぐ終わり。<br /><br />ところで、尊厳死と安楽死は異なる概念で、しかもややこしいことに世界共通ではありません。<br />延命治療を拒否することも、また自殺幇助も尊厳死で、安楽死は尊厳死に含まれます。<br />ところが日本では、尊厳死協会は安楽死に反対している。<br />「患者が苦しむのを長引かせないために、延命治療を中止する。」これが尊厳死として捉えられ、積極的な自殺幇助という形で死期を早めることを安楽死とします。<br />尊厳死でさえ、なかなか理解を得られない中、安楽死はまだまだ前途多難でしょう。<br />キリスト教国は命は神から授けられたものなので、自殺は罪だという観念を持っています。死ねば地獄。<br />患者当人はOKだとしても、家族の同意はなかなか得られないでしょう。<br /><br />生きる権利があるなら、死ぬ権利もある。これは非常に単純な論理なのですが、どうもそうは思えないようです。<br />死ぬ権利が堂々と認められてこそ、生も主体的に生きやすくなるだろうと私はずっと考えていました。死ぬことが後ろめたいものであれば、生きることもまた後ろめたい。<br />もちろん死を勧める気はさらさらありませんが、生存するに限界を感じたときに、そういう権利があることはまた一つの救いなのではないでしょうか。その権利は自殺する方向だけでなく、自殺しようとする者を楽にして生に向かわしめるものになるかもしれません。<br /><br />まだまだこういう話はタブーで、見たくないものでしょう。<br />しかし見ないから重いので、ありのままの生または死は重くも軽くもないはずです。<br />私自身はこの映画を見て、爽快さすら感じました。あまり観客はいませんでしたが、「ハンナ・アーレント」とともに見ていただきたい映画です。<br /><br /><br />遠距離でも出張可能です。哲学・倫理から映画関係まで取り扱っております。<br />本の整理ならお気軽にご依頼ください。